2014年09月16日

ちんちん電車に乗って(23) 鬼怒川だぜぃ

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 元々は、旭電化工業に隣接する東京電力隅田火力発電所の用地だったわけだが、不思議なことに終戦前の地図には「鬼怒川」の文字が付いている。


<各時代の発電所の名称>
大東京最新明細地圖隣接町村合併記念(昭和7年)  ・・・ 鬼怒川火力
最新大東京交通名所地圖(昭和8年)   ・・・ 鬼怒川水力隅田發電所
模範新大東京全圖(昭和10年)     ・・・ 鬼怒川水力隅田發電所
番地入新大全圖(昭和11年)          ・・・ 鬼怒川發電所
大東京新地圖索引式ハンディ判(昭和14年)    ・・・ 鬼怒川火力
新東京区分荒川区詳細図(昭和22年)  ・・・ 日本發送電隅田發電所
新23区制東京都区分地図(昭和24年)     ・・・ 日発隅田発電所
東京都管内図(昭和25年)            ・・・ 隅田発電所
東京都区分詳細図荒川区(昭和31年)   ・・・ 東京電力隅田変電所


 なぜ鬼怒川か。煙もくもく近隣迷惑な火力発電所だから、せめて名前だけでも温泉っぽくしたいと考えたイキな役人が命名・・・というのはウソ。あの栃木県鬼怒川のことなのだ。

 明治末から大正初期にかけ、大規模水力発電が可能になり、さらに電気を長距離送電する技術が確立。その結果、多くの電力会社が誕生したらしい。

 当時、日本最大の発電量を誇っていたのが鬼怒川上流に水力発電所を建設した鬼怒川水力電気。発電された電気は、尾久の原公園の場所にあった変電所に送電。大正2年(1913年)のことだ。だから「鬼怒川」の文字が付く。

 昭和13(1938年)、電力管理法制定。国による電力統制のためだ。翌14年(1939年)、特殊法人日本発送電発足。太平洋戦争に突入する同16年(1941年)になると、すべての電力会社が日本発送電に合併されることになる。だから「日本發送電」あるいは「日発」の文字が付く。

 終戦後、同26年(1951年)に日本発送電解散。9電力会社に分割された結果、関東エリアは東京電力の営業エリアとなる。だから「東京電力」の文字が付く。

【Photo】園内の原っぱと芝生面積は8500u(2571坪)。そのほか池あり、湿地あり。夏から秋にかけて大量のトンボが出現する。

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2014年09月15日

ちんちん電車に乗って(22) 尾久の原っぱ

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 現在、跡地の東半分は尾久の原公園。面積6万1841u(1万8707坪)というから驚く。

 池の周囲に生い茂る湿生直物、その先に雑草が伸び放題の小高い丘がある巨大な空間は「尾久の原」というより「尾久の原っぱ」。

 遊具施設も花壇もなく、視界一面、昔懐かしい野原が広がっているという感じだ。

 東京都の土地になった翌年、昭和61年(1986年)にレインボー広場として一般開放されたものの、再整備され、平成5年(1993年)に尾久の原公園として開園。

 どう整備されたかは不明だが、少なくともレインボーという名前を捨て去ったことは正解だと思う。

【Photo】公園案内図。図は小さいが、園内は広大。人工物が少なく、まるで昭和30年代の原っぱにワープしたような気分になる。

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2014年09月14日

ちんちん電車に乗って(21) 首都大学東京

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 旭電化工業が東尾久7丁目に尾久工場を設立したのは大正6年(1917年)。翌年、食塩を電気分解して苛性ソーダを生産する工場として操業開始。当時、都内最大の化学工場だったらしい。

 電気分解すると水素および塩素が生じる。「捨てちゃうのもったいねぇ〜な」というわけで洗剤、石鹸、硬化油、食用油、マーガリンなどの生産にも着手。あれよあれよという間に大工場に。

 つくればつくっただけ儲かるから「工場広げて増産、増産!」の掛け声のもと、隣接する東京電力隅田火力発電所の用地を買収したのが昭和34年(1959年)。工場の敷地は一気に20万坪(約66万u)となる。電気があってこそ電気分解なのに、ひさしを貸して母屋を盗られたか。

 明治大正時代、隅田川沿いにあった煉瓦工場が運搬に水路を利用していたように、石炭や原料などを舟運に任せることが出来たから好立地だったのだ。

 以降、昭和54年(1979年)まで化学・食品工場として操業を続けたのだが、東京都下水道局と土地の買収契約が結ばれ、同60年(1985年)に東京都に引き渡し完了。

 現在、跡地の西南部は首都大学東京の荒川キャンパス、その北側は東尾久浄化センター、東半分は尾久の原公園になっている。

【Photo】首都大学東京のエントランス。かつては保健科学大学(平成23年閉学)も併設されていた。

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2014年09月13日

ちんちん電車に乗って(20) 旭電化工業跡地

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 予定は未定。熊野前停留場から再び都電荒川線に乗ろうと思ったのだが、プラットホームで考え直した。旭電化工業跡地がどうなっちゃったか、確かめに行くのも悪くない。

 というわけで尾久橋通りに逆戻り。旭電化工業跡地は、停留場から歩いて10分ほどのところにある。

 不気味な社名だが、昭和時代に子どもだった中高年には馴染み深い会社。学校給食用リス印マーガリンの製造元なのだ。生産品はマーガリンだけじゃないけど。

 当時の広告は、当サイト[錦町世情研究所]の<【188】銀ぶら讀本(23) アルサロ喫茶での遊び方 3/7(昭和31年)>にあり。

 現在の社名はADEKA(アデカ)。日本各地に工場があり、本社機能だけが東尾久に残っているらしい。

【Map】昭和51年発行の地図。旭電化工場と表記されている。都電荒川線小台停留場の近く、西尾久二丁目は昭和の終わりごろまで芸者の置屋や待合があった三業地。昭和11年(1936年)、待合を舞台として阿部定事件が発生し、世間の注目を浴びたところ。

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2014年09月12日

ちんちん電車に乗って(19) 熊野前停留場

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 降車した荒川遊園地前には戻らず、3駅先の熊野前から再び都営荒川線に乗ることにした。

 停留場と停留場の間が短いから、3駅といっても線路の長さは約1Km。路地から路地へ、ぐるっと遠回りしても30分ほどで到着だ。

 熊野前停留場の開業は大正2年(1913年)。当時の表記は熊ノ前。

「近くに熊野神社があって、参詣客用につくった停留場だろ」とお思いだろうが、違う。駅名の由来は熊野神社なのだが、神社はない。明治11年(1878年)に尾久八幡神社に合祀されてしまったのだ。

 いずれにしても、この辺りの公共交通は、長い間、ちんちん電車だけだった。いわば陸の孤島。

 他社路線に乗り換え可能な停留場は王子駅前(JR京浜東北線、地下鉄南北線)、町屋二丁目(地下鉄千代田線)、町屋駅前(京成本線)、三ノ輪橋(地下鉄日比谷線)の4停留場しかない。

 ところが平成20年(2008年)、日暮里(荒川区)と見沼代親水公園(足立区)を結ぶ全長9.7Kmの「日暮里・舎人ライナー」が開通。熊野前停留場の近くに熊野前駅が出来たのだ。

 尾久橋通り上に連用走行路面をつくり、案内軌条に案内輪をあててゴムタイヤで走行する新交通機関は拍手喝采で迎えられた。JRと接続連絡する日暮里駅←→熊野前駅は5分。同じく西日暮里駅なら4分なのだ。

【Photo】熊野前交差点。都電通りの前方に熊野前停留場。交差するのは熊野前陸橋(尾久橋通り)と日暮里・舎人ライナーの専用走行路。

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