2014年09月21日

ちんちん電車に乗って(28) 下も上もビッグサイズ

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 三河島水再生センターの敷地面積は19万7878u(約6万坪)。港区白金台にある国立科学博物館附属 自然教育園とほぼ同じ面積だ。ものすごく広いと思う。

 1日あたりの下水処理能力は70万㎥。あまりピンとこないが、処理区域が荒川区・台東区の全域、文京区・豊島区の大部分、千代田区・新宿区・北区の一部と聞くと、ものすごく大量だと思う。

 その上部に造成された区立新川自然公園の面積は5万6925u(約1万7220坪)。尾久の原公園が6万1841u(約1万8700坪)だから、ほぼ同じサイズ。驚くほど広いと思う。

 荒川二丁目停留場脇のスロープを上がると公園の入り口。

 目の前に広がる鬱蒼とした樹木にちょっと驚き、ついでに白鳥の池と水辺広場にちょっと驚く。さらに連絡歩道橋の先にテニスコート、わいわいプール、野球場、交通園などがあるから、驚きはちょっとではなくなる。

【Map】荒川区HP/荒川自然公園施設案内に掲載されている荒川自然公園案内図(pdfファイル)

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2014年09月20日

ちんちん電車に乗って(27) 三河島汚水処分場稼動開始

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 大正11年(1922年)に稼動を開始した三河島汚水処分場(当時の名称)は、日本初の近代的下水処理場。

 汚水処理に採用されたのは散水濾床法。濾材(砕石など)を敷き詰めた上から下水を散水する方法だ。濾床表面に付着した生物膜が、通過する下水に空気中の酸素が供給されるというわけ。

 ところが、建設費および維持管理費が安価というメリットがあったものの、蝶蝿(チョウバエ/別名:便所バエ)が大量発生。処分場ではなく、ハエ飼育場になってしまったのだ。処理水の水質も悪かった。

 こりゃいかんというわけで、考え出されたのが活性汚泥(微生物の集合体)を利用する活性汚泥法。昭和9年(1934年)にパドル式活性汚泥法の稼動がスタートする。槽内の水車を回転させ、強制的に酸素を供給するのがパドル式。

 同28年(1953年)、三河島下水処理場と改称。汚水じゃなく下水ね。

 パドル式は効率悪し・・・というわけで、同34年(1959年)から採用されたのが散気式標準活性汚泥法。送風機などで空気を散気する方法だ。現在も散気式標準活性汚泥法が利用されている。処理水は隅田川に放流。一部は東尾久浄化センターに送られている。

 同37年(1962年)、三河島処理場と改称。何を処理するのか不明になってしまったけど。

 同39年(1964年)、処理水を工業用水として利用するようになる。処理水の水質が良好になったようだ。

 平成15年(2003年)、三河島水再生センターと改称。汚水、下水はイメージ悪いのかも。

【Photo】三河島水再生センター。上部は区立荒川自然公園になっているが、写真の部分は露出している。

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2014年09月19日

ちんちん電車に乗って(26) 荒川二丁目停留場

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 尾久の原公園をあとにし、再び熊野前から三ノ輪橋行きに乗車。乗り降り自由の「都電一日乗車券」(400円)だから気分はお気楽。

 5つ目の荒川二丁目で下車。大正2年に開業したときは「三河島」だったのだが、住居表示実施後に「荒川二丁目」に改称。終点三ノ輪橋から1Km手前の停留場である。

 都電の停留場名は町名が多いから、住居表示が変更されると困ったことになる。結局、新住居表示に従うことになるのだけど。


<停留場名の変遷/熊野前〜三ノ輪橋>
昭和36年 熊野前→尾久町一丁目→町屋二→町屋一→三河島八→三河島→三河島二→三ノ輪橋
今 ど き 熊野前→東尾久三丁目→町屋二丁目→町屋駅前→荒川七丁目→荒川二丁目→荒川市役所→荒川一中前→三ノ輪橋

 なぜ荒川二丁目で下車したか。

 停留場の隣に三河島水再生センター(東京都下水道局 北部下水道事務所三河島水再生センター)があり、その上部に区立荒川自然公園があるから。

 下水処理場の上に公園・・・本サイトで掲載した<幻の森ケ崎鉱泉街>とまったく同じ構造なのだ。

【Photo】荒川二丁目停留場の脇にあるスロープを上れば荒川自然公園。

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2014年09月18日

ちんちん電車に乗って(25) 北豊島郡

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 旭電化工業は、操業停止以降6年をかけて跡地整備したあと、東京都に引き渡したはずなのだが、地中深く滲み込んだ有害物質の存在には気づかなかったようだ。

 残念ながら尾久の原公園で環境基準を上回る濃度のダイオキシン類が検出され、現在、一部区域が閉鎖されている。公園の敷地は東尾久7丁目と町屋5丁目にまたがっているが、閉鎖されているのは東尾久の一部。

 尾久には西と東があり、あらかわ遊園は西尾久、尾久の原公園は東尾久。煉瓦工場跡地の西尾久はセーフ、化学工場跡地の東尾久はアウトとういうわけ。

 西尾久は、かつての上尾久村。東尾久は下尾久村。明治11年(1878年)の郡区町村編制法により、いずれも北豊島郡に編入された。下板橋宿も北豊島郡だったから、「郡」とはいえ、広大。ちなみに内藤新宿は南豊島郡。

 明治22年(1889年)、下尾久村+上尾久村+船方村で尾久村となり、大正12年(1923年)に尾久町に昇格。続く昭和7年(1932年)、全域が東京市に編入されたため、北豊島郡は消滅。南千住町+日暮里町+三河島町+尾久町で荒川区が誕生。

 尾久の原公園をあとに、再び都電熊野前停留場に向かう途中、北豊島中学・高校があった。創立は大正15年(1926年)。だから北豊島なのだ。

【Photo】北豊島中学・高校の塀。荒川遊園誕生が大正11年(1922年)だから、学校創立の同15年当時、すでに煉瓦工場は消滅している。残念ながら校舎は解体され、新校舎の建設が始まっている頃。

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2014年09月17日

ちんちん電車に乗って(24) サリガニ捕り

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 尾久の原公園のトンボは有名。これまでに希少品種を含む30種以上が発見され、都内でも有数の生息地として注目を浴びているそうだ。

 驚くことに、湿地帯の先にあるトンボ池の水は原っぱに降り注いだ雨水が溜まったものらしい。どこから見ても、水溜りではなく立派な池なのに。

 池には木橋が架かって、若いお母さんたちが子どもと一緒にザリガニ捕り。ヒモの先にゲソ(酒のツマミ)を結わえて池の底に投げ入れ、ただひたすら上下、上下。

 まったく反応しないのだが、炎天下の殺気と言えばいいのか、眼差しは恐ろしいほど真剣そのものだった。

【Photo(上)】トンボ池の橋の上。ザニガリ捕りは男の子の遊びだと思っていたのだが、女の子も主婦も参戦していたから愉快。

【Photo(下)】公園の一角、青空に向かってムクゲが花開いていた。ハイビスカスの仲間らしく、花弁の中心に大きな雌しべと、それに付着する雄しべがが特徴的。1つの花が開花するのはたった1日、実にサバサバした花だ。

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