2014年08月07日

幻の森ケ崎鉱泉街(01) 畑から湯が湧き出す

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 かつて、東京湾の昭和島と羽田空港の間に花街があった。森ケ崎鉱泉街だ。

 この辺りで鉱泉が発見されたのは明治32年(1899年)のこと。森ヶ崎海岸に近い畑の持ち主が畦(あぜ)を掘っていたら、いきなり地中から湯が湧き出してきたのだ。

 赤黒く濁ってはいるものの、ヨウドの含有量が高く皮膚疾患やリウマチに効能があることが認められたから、さあ大変。「畑潰して鉱泉宿やるべ」「おらもやるべ」。一躍、温泉地として脚光を浴びることになった。

 利にさとい鉱泉宿の主人がいて、「鉱泉宿だけじゃゼニになんねぇ。芸者をあげてチントンシャンだべ」。天恵で天啓がひらめいたのだ。近くの大森海岸三業地に右ならえとばかり、鉱泉旅館や芸妓置屋の建築ラッシュ。繁栄は関東大震災の前夜まで続いた。

【Map】JR蒲田駅から直線距離にして約3キロ。かつての森ケ崎鉱泉街は、現在の森ケ崎公園一帯にあったと思われる。

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2014年08月08日

幻の森ケ崎鉱泉街(02) 東京で唯一の温泉場

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 三業地とは「置屋」「待合」「料亭」の営業が許可された地域。要するに芸妓と茶屋と料理の三拍子がそろっている、いわゆる花街のこと。明治以降につくられた行政用語らしい。

 大森海岸三業地をお手本にした森ケ崎だったが、すでに鉱泉宿はあるから、あとは芸妓(置屋)と板前(料亭)を用意するだけ。またたく間に森ケ崎鉱泉街が出来上がった。

 当事の情景を、美術家・美術評論家の仲田定之助は『明治商売往来』(青蛙房/昭和44年)で次のように書いている。

『森ヶ崎鉱泉宿を中心とした小さい聚落の周辺は湿地で、そこら一面、芦荻が生い繁り、霞切りの声がのどかに聴こえた』。浅草あたりの花街とは異なり、のどかな湯治場風だったらしい。

 さらに『すぐ近くの東京湾には篊棚(ひびだな)のつづく海苔場の先に往来する白帆や、汽船が見えた』し、しかも『夏は海上をすべってくる涼風が芦の葉をかえしながら潮の香を伝えてきた』だって。

 時代は下って昭和6年(1931年)。日本旅行協會が発行した『東京近縣溫泉案内圖』には、東京で唯一の温泉地として森ケ崎鉱泉街を紹介。地図裏面の『溫泉要覧』には、以下のように記されていた。

<●東海道線に沿うて>
番號 ・・・ 1
溫泉場 ・・・ 森ヶ崎鑛泉
下車驛又は乗換驛 ・・・ 京濱電鐵 梅屋敷
三等片道運賃及所要時間 ・・・ 高輪(品川)カラ 十四錢約十五分、東京カラ 二十四錢約三十分
驛からの里程 乘物の有無 ・・・ 十六丁、自動車一臺五十錢 人力車五十錢
泉質 ・・・ ラジウム鑛泉
効能 ・・・ 婦人病其他
旅館 ・・・ 大金、森平、富士川、勇館、荒井館、万金、大和、榮楽、平盛、壽々元
溫泉附近名所 ・・・ 梅屋敷


【Map】東京近縣溫泉案内圖(日本旅行協會/昭和6年)。

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2014年08月09日

幻の森ケ崎鉱泉街(03) 京急バス森ケ崎行き

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 JR蒲田駅東口から京急バスに乗り、一路、森ケ崎(労災病院前)停留所を目指す。乗車時間は約30分だ。

 JR蒲田駅だけでなく、お隣のJR大森駅から約20分、京急本線平和島駅から約10分の乗車時間。いずれも終点が森ケ崎。

 日本旅行協會『東京近縣溫泉案内圖』(昭和6年)の<溫泉要覧>には、京濱電鐵(京急)梅屋敷駅で下車しろとあり、そこから森ケ崎鉱泉街まで十六丁(町)だから約1.74キロ。タクシーあるいは人力車なら五十錢で行けると書いてある。

 当事の教員の初任給が50円ほどだったから、50銭は900〜1000円ほどの価値。お台場の大江戸温泉に行く感覚に似ているかも。

『明治商売往来』の仲田定之助は、『初めの頃は品川から京浜電車にのって、蒲田あたりから人力車に乗り換えていく始末だった』と書いているが、風情があっていいと思うのだけど。

【Photo】京急バス終点、森ケ崎(労災病院前)停留所。バス便が充実しているので、それほど辺鄙な場所という感じはしない。

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2014年08月10日

幻の森ケ崎鉱泉街(04) 花街の残り香なし

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 京急バス森ケ崎(労災病院前)停留所の辺りに森ケ崎鉱泉街の面影はない。

 ひび棚並ぶ海浜の海苔場。生い茂る葦の先、遠くに白帆と汽船が往来し、海辺を伝う涼風は、潮の香りに満ち満ちて、夜ともなると、ほのかな白粉の香りが入り交じり、疲れ知らずのチントンシャン・・・はないのだ。

 わかっちゃいるけど、片鱗をうかがわせるものすらないから、大いなる肩透かし。

【Photo】停留所の近く、道路沿いには金属加工の工場が多く建ち並び、作業服姿の方々が忙しそうに働いていた。

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2014年08月11日

幻の森ケ崎鉱泉街(05) 戦中戦後の森ケ崎

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『明治商売往来』によれば、森ケ崎鉱泉街が全盛だったのは大正時代から昭和初期。急速に衰退し始めたのは世の中が殺伐としてきた頃らしい。

『このあたり一円に中小の工場が建ちはじめ、大東亜戦争の初めころは鉱泉宿も次々に戸を鎖して』しまったのだそうだ。

 その結果『煤煙は舞い上がり、鉄槌はなり響いて、最後まで残った大新の建物も軍需工場の寮に利用されることになり、森ケ崎鉱泉は絶滅した』。

 仲田定之助さんは『こで一番大きかった鉱泉宿は大新』、『最後まで残った大新の建物』と書いているが、「大新」という名の鉱泉宿はなく、おそらく「大金」のことだと思われる。

 森ケ崎鉱泉を地図で確認すると、昭和18年(1943年)には森ケ崎に温泉マーク。終戦後の同21年(1946年)には近くに養魚場が出来たものの森ケ崎鉱泉の表示。

 ところが同24年(1949年)になると、養魚場が魚貝養魚場と名を変え、鉱泉の表示が消失。さらに同30年(1955年)には養魚場の表記も消失してしまった。

【Map】上から『東京都全圖』(昭和18年)、『新生東京都都市計画図』(昭和21年)、『東京都区分図大田区詳細図』(昭和24年)、『模範東京全図』(昭和30年)

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