2014年06月12日

浜御殿で暑気払い(01) 銀座九丁目は水の上

509-01_P1090696_800.jpg

509-02_P1090711_800.jpg

 スタートは銀座通り。「浜離宮500m→」の標識のあたりから浜離宮恩賜公園を目指す。

 銀座9丁目は水の上〜♪ ではなく、築地川は首都高およびGINZA9に代わってしまったから、土手のつもりで銀座8丁目御門通りを歩くのだ。

 神戸一郎の『銀座九丁目水の上』がヒットしたのは昭和33年(1958年)、築地川健在。銀座新富町のひと夏を綴った『秋立ちぬ』(成瀬巳喜男監督)の封切りが同35年(1960年)、築地川健在。

 ところが同36年(1961年)、築地川は干されて川底をさらす。首都高建設工事が始まったのだ。翌37年(1962年)、首都高完成。築地川姿を消す。

【Photo(上)】銀座通り。中央右側のオレンジ色のビルが資生堂。その先に時計塔でお馴染みの和光がある。

【Photo(下)】築地川を潰してつくられた首都高。西銀座デパートGINZA9は首都高の下にあり。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | 浜御殿で暑気払い

2014年06月13日

浜御殿で暑気払い(02) 昭和通りをどっこいしょ

510_P1090712_800.jpg

 銀座8丁目御門通りを歩いていくと、突然、大きな道路が目の前に立ちはだかる。昭和通りだ。

 関東大震災の復興事業として計画された昭和通りは、幅員24間(約44m)。当事東京市長だった後藤新平の原案では60間(約108m)だったものが、計画段階で40間(約72m)となり、それでも「広すぎねぇか」となった結果、24間(約44m)で工事開始。昭和3年(1928年)に完成した。

 銀座通り(中央通り)の幅員が15間(約27m)だから、いかに昭和通りが幅広道路かお分かりだろう。名古屋市栄に100メートル道路(久屋大通り)があるが、あっちは公園のような中央分離帯を含んでいるから厳密には100メートル道路ではない。ムキになる必要はないけど。

 それにしても、昭和通りの横断歩道橋は背が高すぎると思う。おかげで階段の段数が尋常でなく、初夏にウロウロする中高年にとっては鬼門中の鬼門。迂回しようにも、見渡す限り横断歩道がないから、今に歩道橋が原因の死亡事故が起きるに違いない。

 死亡事故第一号になりたくないから、階段の踊り場で一服した。

【Photo】昭和通り、地獄の横断歩道橋。道の先にあるのは歩道橋、その先にあるのも歩道橋。10年後、昭和通り越えが出来るかどうか、不安。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | 浜御殿で暑気払い

2014年06月14日

浜御殿で暑気払い(03) 築地川と大手門

511-01_P1090724_800.jpg

511-02_P1090728_800.jpg

 昭和通りを横断し、しばらく歩くと、埋め立てをまぬがれた築地川が現れる。まぬがれた理由は、浜離宮の側面だから。同じ理由で反対側に汐留川が残っている。

 観光船やレジャーボートなどの船溜になっているが、川底が透けて見えるから深くはなさそう。大丈夫か。風がないので水面はまるで鏡だ。

 大手門橋を渡ると大手門の桝形と櫓台(やぐらだい)。大正12年(1923年)、関東大震災で木造部分が焼失してしまったらしい。焼け焦げた石垣を眺めながら想いを馳せる。

 災難は地震だけではない。昭和19年(1944年)11月29日の空襲で米空軍から爆撃を受けている。当事、園内は軍用地。陸軍の高射砲陣地があり、仮兵舎や退避壕が設けられていたのを米軍は見逃さなかったのだ。

 結局、空襲によって園内の茶屋などが焼失してしまった。

【Photo(上)】生き残っている築地川。東京湾とつながっていて、干満によって水位が変化する。

【Photo(下)】大手門の手前は駐車場になっていて、休日には観光バスも停まっている。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | 浜御殿で暑気払い

2014年06月15日

浜御殿で暑気払い(04) 緑の楽園

512-01_map_012.jpg

512-02_P1090803_800.jpg

 いざ入園。一般300円、65歳以上は150円。都立公園は、通年、65歳以上半額と決まっている。なぜ65歳からなのかは不明。

 入園して驚く。銀座8丁目からわずか500メートルなのに、なんと緑の多いことか。あっちを向いても緑、こっちを向いても緑。約25万平方メートル(約7万5600坪)の敷地が、まんべんなく緑なのだ。

 JRではなく国鉄だったころ、同じ道を歩いていくと、東海道貨物線(東海道本線の貨物支線)の汐留駅があった。巨大な貨物専用駅。

 昭和61年(1986年)、汐留駅廃止。砂ぼこり舞う広大な跡地の片隅で、ときどきイベントが行なわれたものの、場末感満点の寂寥とした汐留なんかにナウなヤングは見向きもしなかった。

 だから、まさかその先に緑の楽園があるとは、思ってもみなかったのだった。

【Map】銀座8丁目から浜離宮まではわずかな距離。浜離宮の下に芝離宮があるが、浜に来たつもりが芝だった、あるいはその逆もあるから要注意。

【Photo】都会の喧騒とは無縁の園内。木々の先に見えるのは汐留の再開発地区シオサイト。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | 浜御殿で暑気払い

2014年06月16日

浜御殿で暑気払い(05) 甲府殿浜屋敷

513_P1100025_800.jpg 

 昔から緑の楽園だったわけではない。三代将軍徳川家光のころは、江戸湾の入江に浮かぶ「葦が生い茂る浮洲」だった。葦で浮洲とくれば、鷹狩場にするしかない。将軍の鷹狩場になった。

 時が過ぎ、周辺の川から流れてくる土砂が堆積し、浮洲は浮島に昇格。浮島とくれば、別荘地にするしかない。

 案の定、長男の四代家綱時代、弟の松平綱重の別荘地になった。

 綱重は頑張った。10年もかけて江戸湾から海水を引く「汐入り庭園」の築造に没頭したのだ。おかげで綱重が甲府藩主になったときは、甲府殿浜屋敷と呼ばれるようになっていた。

【Photo】園内に掲げられていた「浜離宮恩賜庭園案内図」。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | 浜御殿で暑気払い