2013年07月27日

浅草寺4万6千日(01) お参りは功徳日に限る

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 7月9日と10日は「4万6千日(しまんろくせんにち)」。この日に観音さまにお参りすると、4万6千日参詣したのと同じ功徳があるそうです。だから別名「功徳日」。「年」に直すと126年ちょっと。

 なんだか「お参りの大安売り」のような感じがしないでもありませんが、願ってもないラッキーデイ。常々、世の中を無駄なく、要領良く、合理的に渡り歩いていきたいと思っている方は見逃せません。

 考えたのは京都の清水観音堂、それを真似たのが浅草観音堂。朝から小雨の降る梅雨の真っ只中ではありましたが、浅草の観音さま目指して直行です。

【写真】浅草寺へ通じる道は、どこもかしこも人の波。ほとんどが中高年なので、歩くペースものんびり。

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2013年07月28日

浅草寺4万6千日(02) カラフル女子の威風堂々

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 都営地下鉄浅草駅の階段を上がると、空一面の雲。雨が降っているような降っていないような妙なお天気ですが、浅草寺の雷門に向かう人々は元気ハツラツ。

 妖艶なオバ様方が大半なので、カラフルな洋服が鉛色の街並みに映え、それぞれがスポットライトを浴びる舞台役者のような感じ。まさに、威風堂々。

 おそらく、お参りを済ませたら、お仲間と一緒に「葵丸新」あたりで上天婦羅定食2850円也を食し、「あさくさ ハロー」のコーヒーゼリー550円也で締めくくる算段なのでしょう。

 そのころ亭主は、自宅の居間でテレビをみながらインスタントラーメン。もちろんパジャマのまま・・・だと思う。

【写真】浅草寺に向かう途中の大きな仏具屋さん。店の前に、ところ狭しとバーゲン品が並べられています。「七福神が現れる湯呑み」800円、「珈琲の香りのお線香」1050円。

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2013年07月29日

浅草寺4万6千日(03) 東洋一の繁華街

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 戦前の浅草は東洋一の繁華街。十二階あり地下鉄あり、映画に演劇、寿司天婦羅。娯楽および流行の最先端をいく超モダンな街だったから、老若男女、都会モンも田舎モンも、千客万来、押すな押すなの大盛況。

 ところが盛者必衰、残念無念。戦後、映画館に人が集まらなくなったころ、昔日の面影どこへやら、あれよあれよという間に浅草人気は奈落の底。かつてのモダンボーイ&ガールは徘徊するも、若人はおよびじゃない街になってしまいました。

「あんとき、反対しなきゃよかった」。省線山手線計画の際、浅草もルートに入っていたのに「これ以上、客はいらねえべ」とばかり、大反対運動をしたのが浅草の商店組合だったから後悔先に立たずです。

【写真】雷門通りの商店街。東京マラソンのコースになったり、近くに東京スカイツリーが完成したりで、このところ復活の兆しあり。

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2013年07月30日

浅草寺4万6千日(04) 東武伊勢崎線浅草駅

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 省線の山手線計画を棒に振った浅草ですが、遅ればせながら、昭和6年(1931年)に東武伊勢崎線「浅草雷門駅」がつくられたから、商店会もホッ。

 それ以前は、現在の「とうきょうスカイツリー駅」の前身「業平橋駅」が「浅草駅」(終始発駅)。

 ホントの浅草は隅田川を渡った先にあり、日本一の賑わいをみせていたから、それなら渡っちゃおうというわけで、鉄橋架けて浅草上陸。「浅草雷門駅」の誕生です。

 やがて「浅草駅」は「業平橋駅」、「浅草雷門駅」は「浅草駅」と名を変え、日光・鬼怒川方面への玄関口になりました。

【写真】左下、「東武電車」の看板がある白い建物が駅ビル。東(右下)から西(左上)に向かって延びてきた線路が、隅田川の鉄橋を渡りきったとたん南(左下)に向かって直角に近い方向転換をします。

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2013年07月31日

浅草寺4万6千日(05) 雷門と大提灯

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 さすが4万6千日、おまけに境内で「ほうずき市」も開催されているので、雷門前の広場は人でいっぱい。提灯がぶら下がった門を背景に、記念撮影する人々で混み合っています。

 雷門は、天慶(てんぎょう)5年(942年)、現在の駒形橋西詰あたりに創建され、鎌倉時代に今の場所に移されたもので、以降、数度の火事に遭い、幕末の慶応元年(1865年)の大火を最後に焼失したままの状態が100年あまりも続くことになります。

 明治、大正、昭和の中ごろまで「雷門」という地名が残っていただけで、「門なし」状態。明治時代に再建話が出たものの、諸外国から未開人と云われるのではないかと危惧した浅草人によって再建大反対だったそうです。

 再建(鉄筋コンクリート)されたのは昭和35年(1960年)のこと。大提灯とともに松下幸之助が寄進。浅草観音に祈願して病気平癒したからだそうです。

 最後の火災で救い出された風神と雷神の頭部は、明治時代に造られた胴体をつながれて門の両脇に安座しています。

【写真】雷門。正式名称は「風雷神門」。直径3.3メートル、高さ3.9メートル、重量700キロだから大迫力。三社祭のとき、お神輿が門をくぐるので提灯は持ち上げられるようになっています。

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