2013年07月11日

横十間川沿いの散歩道(01)  江戸の埋立地

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 徳川家康が関東に入国したころに開削された小名木川(おなぎがわ)は、中川と隅田川の東西を結ぶ全長約4.6キロの水路。行徳で産出される塩を江戸に運搬するルートとして重要な役割を担っていました。

 やがて中川が利根川水系と連携することにより物流の大動脈となるのですが、当時の海岸線に沿って開削された水路の南側は広大な海浜の湿地帯のままの状態。江戸情緒あふれる本所深川あたりは、満潮ともなると海の底でした。

 海浜の湿地帯が大きく変わり始めるのは、三代将軍家光の末期のあたり。そのころ出された町触(まちぶれ)に「ゴミは各自が会所に捨てるのではなく、町ごとに収集してどこかに持ち込んで捨てよ」とあるのは、江戸の人口が急膨張し、ゴミ対策が必要になったから。

 その「どこか」に選ばれたのが永代浦。つまり本所深川。

 もちろん、各自で永代浦までゴミ捨てに行くことは出来ないので、塵芥請負人にお金を払って処分依頼。結果、誕生したのが「永代新田」。尾張屋版『江戸切絵図』の「本所深川繪圖」に描かれている広大な埋め立て地「十万坪」「六万坪」です。

 というわけで、今回のお散歩コースは東京メトロ東西線東陽町駅下車、いったん現在の海岸線近くまで行ったあと北上し、かつての「六万坪」と「十万坪」を抜けて小名木川を目指す「埋め立て地めぐり」です。

【図版(上)】張屋版『本所深川絵図』文久二年(1862)。赤丸上が「十万坪」、下が「六万坪」。

【地図(下)】切絵図と同じ場所をグーグルマップから切り取ってみました。今も昔も、川筋はほぼ同じです。

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2013年07月12日

横十間川沿いの散歩道(02) 地下鉄東陽町駅

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 東京メトロ東西線「東陽町駅」下車。ホームから改札までの階段が短いのは、地表から浅いところを走っているため。

 ちなみに平均深度は−13.27メートル。平成になって開通した副都心線が−25.75メートルだから、ほぼ半分の深さです。それでも戦前に開通した銀座線の−7.88メートルとくらべたら、十分に深い。

 さらに地上の出入り口には階段が設けられていて、洪水などのときに構内に水が入り込まないような工夫がなされています。

 それもそのはず、江東区のこのあたりは海抜ゼロメートル地帯。海水面より標高が低いので、洪水などが起こると一気に水が流れ込んでくることが予想されるから。

 地上に出ると、目の前は永代通り。左方向に進めば隅田川、右方向に進めば荒川です。「深いより浅いほうが安心感があっていい。でも海抜ゼロだから帳消しかも」などと考えながら、とりあえず海岸線近くの汐浜運河を見に行くことにしました。起終点で曙北運河と豊洲運河に接続する運河です。

【写真(上)】永代通りの地下を走る東京メトロ東西線「東陽町駅」の「出口2」。その名のとおり、東京と千葉の東西を結ぶ路線。JR線と東葉高速鉄道との間で直通運転が行なわれています。

【写真(下)】汐浜運河に続く道。途中、江戸時代の運河を埋め立てたような道と交差しています。

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2013年07月13日

横十間川沿いの散歩道(03) 汐浜運河と散策路

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 深川六万坪の海浜部はどのあたりだったのか・・・あたりを観察しながら歩いたのですが、ヒントのかけらもありません。

 江戸以降、明治大正昭和と埋め続けられたから、もはや当時の埋立地は内陸部。海浜は、遥か彼方です。

 しばらく歩くと汐浜運河。スマートな東陽橋が架かっています。両岸に散策路が設けられていて、運河沿いを散策できるようになっているのはいいのですが、暑さ厳しき折、人影は皆無。カモメもハトも気配なし。木々の緑も、ロウ細工のように固まったままです。

 散策路から運河を覗いてみると、水面が足元に迫ってくるような感じ。昭和の高度成長期時代、「井戸水ならタダだべさ」とばかり、多くの工場が地下水をくみ上げた結果、あれよあれよという間に地盤沈下。あたり一帯、海抜ゼロメートルとなってしまったのでありました。

【写真(上)】汐浜運河。先に見えるのは東陽橋。岸辺の散策路を歩きながら、振り返ってみました。

【写真(下)】汐風など一切なく、立ち止まると、そのまま蒸気になって天国に直行してしまうような感じでした。遠くに見えるのは芝の東京タワーです。

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2013年07月14日

横十間川沿いの散歩道(04) 洲崎橋の先にパラダイス

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 運河の散策路を離れて永代通りに向かって歩いていくと、グリーンベルト地帯にぶつかります。洲崎川を埋め立て、木々を植えて公園にした洲崎川緑道公園です。木陰たっぷり。進路は緑道以外にありません。

 洲崎川の歴史は浅く、明治20 年(1887)に東陽町1丁目あたりが埋立てられたときに開削。海岸線を残して川にしたものらしい。つまり、江戸の六万坪の海岸線が緑道の北側。

 その洲崎川が埋め立てられ、緑道公園になったのは昭和57年(1982)。同年、木場の新木場移転も完了しています。

 緑道を木場方面(西)に歩いていくと、いきなり登場するのが洲崎橋。橋の左側は、かつての洲崎パラダイス。明治時代、東京帝国大学の近くにあった根津遊郭が移転してきたところ。現在は町名変更で東陽町。


【写真(上)】かつて洲崎川が流れていたところが洲崎川緑道公園。流路そのものだから、川の流れのように、ゆるやかにカーブします。

【写真(下)】洲崎橋の下は緩やかな坂道。洲崎パラダイスの手前に架かっていた橋だから、遊郭への出入り口。当時の客は、永代通りを走っていた都電を利用し、この橋を渡ってパラダイスにゴーというわけです。

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2013年07月15日

横十間川沿いの散歩道(05) 洲崎神社

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 洲崎川緑道公園の終点は、なんの前触れもなくやってきます。かつての流路に逆らわず、かすかに蛇行している緑道の心地よさに気分が良くなってきたところなのに、いきなり石垣で組まれた円形の鉢植えが登場し、その先に大横南川支川。緑道から外れるしかありません。

 緑道脇の小道の先、大横南川支川に架かる弁天橋を渡ると、緑に囲まれた洲崎神社が現れます。江戸時代の名前は洲崎弁天社、

 弁天社のころ、境内の端は波打ち際で眺望良く、行楽地のひとつだったようですが、今どきは周囲を建物に囲まれて、海浜の面影はまったくありません。

【写真(上)】洲崎神社の鳥居。塵芥処理場でもあった埋め立て地を守るための浪除堤が洲崎です。

【写真(下)】社殿。寛政3年(1791年)、台風による大津波が海岸地帯の漁村だった洲崎を襲い、多くの死者を出したそうです。

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