2013年02月20日

麻布台地の渓谷美(01) 恵比寿から地下鉄に乗って

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 JR山手線恵比寿駅から東京メトロ日比谷線に乗り換えて広尾駅、目指すは「有栖川(ありすがわ)公園」(正式名/有栖川宮記念公園)です。

 広尾駅の地下ホームから地上に出ると、そこは港区南麻布。麻布には元麻布、東麻布、南麻布、西麻布がありますが、北麻布はなし。北に相当するところは六本木ですが、「オラも麻布を名乗るだ」とはならず「麻布はヤダ、六本木でエ〜だ」となったそうです。

 密度の高い冷気が行く手を拒んでいると思いましたが、はんなり、春の陽気です。

【写真(上)】JR山手線恵比寿駅の駅前で鎮座するエビスさま。「火の用心/渋谷消防署」のタスキがけは毎年のことです。

【写真(下)】地下鉄の入り口は恵比寿駅西口にあるから、いったんJRの改札を出なければなりません。

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2013年02月21日

麻布台地の渓谷美(02) 南麻布

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 その昔、チンチン電車(都電)が元気だったころ、麻布界隈に出かけるのはお気軽でした。麻布全域に網の目のように線路が敷かれていたから、都内どこからでも電停で乗り換えれば最短距離で目的地に到着することが出来ました。

 ところがクルマ優先時代となり、庶民の足が都バスにバトンタッチされたからたまりません。路線・運行本数減少、時間不規則、料金アップに加え、バス停での乗り換えなど考えられていなかったから不便この上なく、唯一、安定運行していた地下鉄日比谷線に頼ることに。

 でもね、日比谷線計画が持ち上がった昭和32年、麻布の繁華街だった麻布十番などが「客を銀座にとられのはヤダ」ということで大反対。しかたなく、麻布の南端である港区南麻布5丁目の外苑西通りに広尾駅、北端に近い港区六本木6丁目の六本木通りに六本木駅をつくることになったのだそうです。

 おかげで麻布の中心部は「陸の孤島」化。平成12年、麻布十番駅(東京メトロ南北線/都営地下鉄大江戸線)、赤羽橋駅(都営地下鉄大江戸線)、白金高輪駅(東京メトロ南北線/都営三田線)が出来るまでは、「よっぽどの用事でない限り、出かけたくない場所」の筆頭でした。

【写真(上)】東京メトロ日比谷線広尾駅の改札を抜けて地上に。おしゃれな店多し。

【写真(下)】スーパーマーケット「ナショナル麻布」の改装前の写真。有栖川公園の入り口前にあります。世界中の食品が売られているから、ひと巡りすると楽しい。

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2013年02月22日

麻布台地の渓谷美(03) 有栖川公園の池

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 途中、マックで一服しない限り、広尾駅から歩いて2〜3分で有栖川公園に到着です。

 小さな入り口から入ると、目の前に大きな池が広がっているだけだから「公園にありがちなパターンね」と思ってしまいますが、敷地面積約6万7000平方メートル(約2万坪)で東京ドームのグラウンド×5の大きさだから、鬱蒼とした木々の先は魑魅魍魎の予感。

 かつて、釣竿持参で公園に入り浸っていたものの、奥地に分け入ったことがなかったから、期待に胸がふくらみます。

【写真(上)】なんてことない公園の入り口。南部坂の標識がありますが、このあたりが坂下に相当。手前の道を右にのぼれば、仙台坂の坂上に通ずる道に出ます。

【写真(下)】釣り三昧をしていたころ、半野生化したニワトリ数羽が池の周囲をコッココッコと歩き回り、ときには木の枝に止まってコケコッコーだったのですが、今はそのお姿がありません。ペットとして飼われていたニワトリの末裔だったらしいのですが、幾度もの冬が越せなかったのかも。

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2013年02月23日

麻布台地の渓谷美(04) かつては浅野家の下屋敷

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 港区の解説版『有栖川記念公園の由来と特色』に付け加えると、当初は「忠臣蔵」でお馴染みの播州赤穂城主浅野家の下屋敷があったところ。

 何があったか知りませんが、現在の赤坂あたりに下屋敷を構えていた陸奥盛岡藩南部家に「屋敷、とっ代えっこしない?」と持ちかけたか、あるいは持ちかけられたかして、明暦2年(1656年)に屋敷を交換。当時は、結構、代えっこが多かったらしい。

 以降、長い間、南部家の下屋敷が置かれることになります。だから、屋敷手前の小道が南部坂。代えっこしなければ浅野坂ね。

【写真(上)】港区の解説版は親切丁寧な内容で好感が持てるのですが、読後、何にもアタマに残っていないのは何でだろ。

【写真(下)】園内は麻布台地の地形そのもの。高台からチョロチョロと水が湧き出ていました。

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2013年02月24日

麻布台地の渓谷美(05) 小道の先の深山幽谷

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 港区の解説版『有栖川記念公園の由来と特色』の続きです。

 何があったか知りませんが明治29年(1896年)に有栖川宮家の御用地に。「御用地」を辞書で調べると「用地に御が付いたもの」とあっけないのですが、「御用邸」なら「天皇や皇族の別荘」と明解。要するに、有栖川宮家が保有する土地だから「御用地」なんですね。実際、有栖川宮家の邸宅はここには建っていませんでした。

 有栖川と云えば有栖川宮熾仁(たるひと)親王。嘉永4年(1851年)、17歳のときに和宮親子内親王(孝明天皇の妹)と婚約したものの、井伊直弼(大老)たちの横ヤリで婚約は反故。公武合体というわけで、和宮は14代将軍徳川家茂と結婚することになったのは有名ですね。

 大正2年(1913年)、10代有栖川威仁(たけひと)親王が薨去(こうきょ)すると嗣子(しし)のなかった宮家は実質的な断絶。大正天皇の第三子によって高松宮家として引き継がれたので、大正7年(1913年)からは高松宮家の御用地に。

 で、はたまた何があったか知りませんが、昭和9年(1934年)に東京市に下賜されて公園になったというわけです。

【写真(上)】さすが麻布台地。小道を進むと山あり谷ありの見事な深山幽谷状態です。

【写真(下)】小道の先に橋が出現。橋の上からの眺望は、まるで江戸時代の武蔵野にタイムスリップしてしまったかのような悠然たる自然風。岩場をチョロチョロするのは池の水ですが、残念ながら、どこに流れて行くかは不明です。

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