2012年12月26日

坂の上の城跡と大仏(01) マンモス団地

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 神奈川県との県境である「多摩川」(大田区)から北に一直線、約28キロ先に「荒川」(板橋区)が流れています。つまり武蔵野台地の北の果て。

 その1キロほど手前に、日本最初の高層集合住宅がひしめくマンモス団地でお馴染みの街「高島平(たかしまだいら)」があります。最寄駅は都営地下鉄三田線「高島平駅」「新高島平駅」「西高島平駅」の3駅。一番古い「高島平駅」で下車することにしました。

 マンモス団地のマンモス具合ですが、高島平2丁目と3丁目に1万170戸(賃貸住宅8287戸、分譲住宅1883戸)を収容する集合住宅が並び、2万数千人もの人々が暮らしているというのだから、マンモスの名に恥じることはありません。

【写真】高島平二丁目団地。最近では見かけなくなったスマートな建物が並んでいます。この通り沿いに警察署、郵便局、図書館などがあるから、団地内のメインストリートなのでしょうね。ただし商店街らしきものはなく、駅に近いところにある「東武ストア」「松坂屋ストア」などが商店街代わりになっているようです。ちょっとばかり寂しい感じです。

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2012年12月27日

坂の上の城跡と大仏(02) 木漏れ日の緑道

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 とりあえず団地とは反対側の出口に出てみることにしました。目指すは、サクラ並木で有名な「前谷津川緑道」。

 赤塚新町2丁目付近を水源とする「前谷津川」は、「赤塚」「四葉」「西台」「高島平」などの谷間を流れ、都営地下鉄三田線の高架をくぐって「荒川」の手前にある「新河岸川」に注ぐ約5キロの小川。

 都市化にともない、コンクリ仕切りの無粋なドブ川になってしまったのですが、昭和59年(1984年)に暗渠化。その後、緑道に整備されて「前谷津川緑道」と名を変えたのだそうです。暗渠の前身はドブ川・・・東京都の常識のようなものです。

【写真】「前谷津川緑道」は東口からすぐのところにあります。かつての流路がそのまま録道になっているので、絶妙のくねくね具合が愉快。ひたすら北に向かって歩いていくと、突然、緑道が終わり、その先に「新河岸川」が出現します。暗渠化されてしまった「前谷津川」への水流を調節するためのコンクリ製の巨大水門が設けられていました。

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2012年12月28日

坂の上の城跡と大仏(03) 板橋清掃工場

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 さすがに完成から30年あまりを経た緑道だけあって、道の両側に移植された木々はしっかり根付き、木の葉からこぼれる落ちる陽光が心地良く、野趣あふれる風情を感じることができます。散策にも程よい距離。

 緑道の途中にある「熱帯環境植物館」は、熱帯植物園+ミニ水族館という構成で入館料220円也。すぐ近くにある「板橋清掃工場」でゴミを焼却したときに発生する熱エネルギーを暖房に利用しているそうです。江東区の「新江東清掃工場」+「夢の島熱帯植物館」と同じ仕組み。

【写真】角柱型の構造物(高さ130メートル)は「板橋清掃工場」の煙突。平成14年(2002年)竣工の最新式工場の焼却能力は1日600トン。環境に優しいらしく、まったく臭いがしません。

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2012年12月29日

坂の上の城跡と大仏(04) ガスタンク出現

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 緑道は、突然、終焉を迎えます。脇を流れていたチョロチョロ川は、暗渠となり、その先に流れる「新河岸川」と接続。しかたがないから「新河岸川」に架かる「徳丸橋」を渡って「荒川」に出てみることにしました。

 そのとき、あっと驚く丸いガスタンクが出現。新宿西口のガスタンクが姿を消したと思ったら、こんなことろまで転がってきていた・・・という感じです。

【写真】新宿西口のガスタンクではなく「東京ガス板橋整圧所」のガスタンク。整圧というのだから、圧力を調整するんでしょうね。手前を流れるのは「新河岸川」です。

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2012年12月30日

坂の上の城跡と大仏(05) 赤塚田んぼ

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 現在の「高島平」一帯は、江戸時代には「徳丸ヶ原」と呼ばれ、将軍家の御鷹狩場だったところ。明治2年(1869年)に民間に払い下げられてから開田が進み、一躍、東京の穀倉地帯となったのは、台地からにじみ出る湧水が豊富な湿地帯が農作に適していたかららしい。

 ところが、ついこの間まで「徳丸」あるいは「赤塚田んぼ」と呼ばれていたものの、湧水が少なくなるなど農地としての環境が悪化したため、昭和31年(1956年)に一帯の330ヘクタールを日本住宅公団(現在の都市再生機構)に売却、巨大団地建設計画が立てられ、同時に都心に直結する交通機関の整備も行なわれることに。地盤は大丈夫だったのでしょうかね。

【写真】「徳丸橋」を渡ると一本道。500メートルほど先にある「荒川」に向かって一目散です。道の左側に「都営新河岸団地」、右側に「都営新河岸一アパート」が軒を並べています。ただし、コンビニはあっても商店街らしきものはなし。一体全体、このあたりの住人はどこでお買い物をしているのでしょうか。気になります。

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