2014年10月01日

ちんちん電車に乗って(38) 大関信濃守下屋敷

615_今戸_箕輪 浅草切絵図_02_B.jpg

 なぜ大関横丁か。

 江戸時代から明治初め頃まで、下野(栃木県)黒羽藩一万八千石の領主大関信濃守の下屋敷があり、その南と西を取り囲む道(横丁)だったから大関横丁。

『江戸切絵図/今戸箕輪浅草絵図』を見ると、大関家の西隣に加藤大蔵少輔(伊予新谷藩一万石)、東隣に宗對馬守(對馬府中十万石)、北隣に石川日向守(伊勢亀山六万石)の下屋敷が並んでいる。南隣は現在の明治通り(当時の幅員は約2間)。

 石高から考えれば對馬守の宗家が横丁の名前になってもよさそうなものだが、そうならなかったのは、幕末の大関信濃守の奇行が原因だと言われている。

 奇行といっても「内縁の夫人と一緒に馬で江戸市内を乗り回す」程度のことだったらしいけど。

 いずれにしても宗横丁、加藤横丁、石川横丁ではなく、大関横丁でよかった。近くに横綱横丁があれば、さらにベター。

【Map】『江戸切絵図/今戸箕輪浅草絵図』(尾張屋清七版)。嘉永2年(1849年)〜文久2年(1862年)刊。大関家の下屋敷があった場所は、現在のイトーヨーカ堂の西半分+第六瑞光小学校の一帯。

posted by sankiyou at 00:00| Comment(0) | ちんちん電車に乗って
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