2013年02月01日

音羽のロマンチック(09) ルーピー鳩山を育んだ邸宅

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 さて「音羽御殿」のバラの花。さすがに高台で開花しているだけあって、都塵にまみれる心配はなく、どれもこれもピッカピカ。まるで砂糖菓子のような美しさです。

 当然ながら、それぞれに名前が付いているのですが、いずれも日常生活とは無縁の長ったらしいカタカナ名だから覚えられず。赤いのは赤バラ、黄色いのは黄バラです。

【写真(上)】赤バラ。まるでビロードの生地でこさえたような感じ。

【写真(下)】薄黄色の下地にオレンジ色が混じった大輪のバラ。バラの香りに包まれながら、ロマンチックなひと時でした。

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2013年02月02日

音羽のロマンチック(10) ラッキーガールのお世継ぎ祈祷

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 かなりの時間、「音羽御殿」に居座ってしまいましたが、そのまま帰路につくのはもったいないので、「護国寺」に寄ってみることにしました。

 初めての「護国寺」。五代将軍綱吉の生母である「桂昌院(けいしょういん)」に捧げる名目で建立したお寺です。

 朱塗りの総門をくぐると、広大な境内が目の前に広がります。境内は禁煙ですが、門をくぐった右側に数多くの縁台が置かれていて、灰皿完備の喫煙可能地帯になっていました。喫煙者に優しいお寺さんです。

【写真】朱塗りの総門です。残念だったのは地べたがコンクリで綺麗に整備されているので、江戸時代の面影を偲びにくいこと。雨の日にぬかることはありませんけど。

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2013年02月03日

音羽のロマンチック(11) 生母「桂昌院」

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 そもそも「桂昌院」は京都の八百屋の娘。なぜ将軍様の生母になったかというと、ちょっとばかり話がややこしいのですが、かいつまんでひも解いていくと次のようになります。

 時代は三代将軍家光のころ。京都の八百屋の娘に生まれた「お辰(たつ)」は、16歳のとき、つてを頼って江戸城を訪れた際に家光に気に入られ、「春日局」の部屋子として奉公することになり「お玉」と改名。

 町娘の気風の良さが大奥で人気を呼び、すぐに中臈(ちゅうろう)に出世して男児を出産。やがて家光が死去したので、「お玉」は剃髪して「桂昌院」と名乗ることに。家光との出会いから10年目、26歳のときです。※明日に続く。

【写真】「護国寺」の中門。「音羽通り」も緩やかな坂になっていて、坂上に総門が建っているのですが、ここからはさらに階段を上がると、ようやく大本堂が目の前に現れます。「音羽御殿」といい、ココといい、やっぱり東京は凸凹タウン。あっちこっちに高台があるわけですね。

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2013年02月04日

音羽のロマンチック(12) 息子は15代将軍「綱吉」

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 かつての「お辰」が生んだ若君は、その後、上州館林15万石の藩主になるのですが、次々に兄たちが死んでしまったため、自動的に転がり込んできたのが15代の将軍職。それが綱吉です。

 ところが綱吉のお世継ぎは4歳で死去、以降、お世継ぎに恵まれなかったので、かなりくさっていたのですが、あるとき「隆光」という祈祷僧が「将軍様の前世で犯された殺生の報い、生き物に憐憫をかけ、中でも干支にあたる犬を大切にすれば男児の出生は確実」とかなんとか入れ知恵してしまったものだから大変。※明日に続く。

【写真】大本堂の裏側です。人に慣れているのか、かなり近寄っても野良クンは微動だにせず。

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2013年02月05日

音羽のロマンチック(最終回) 生類憐みの令

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 単純頭の綱吉は「生類憐みの令」を出し、同じく感化されやすかった「桂昌院」はお世継ぎ誕生を祈るために「護国寺」を綱吉に建立させたというわけです。

 稀代のラッキーガールのことを考えつつ、境内を一周。東京メトロ有楽町線「護国寺駅」から地下鉄に乗り、家路を急いだのでありました。

【写真(上)】帰り際、中門の手前で卵を温めるネコを発見。わが子が孵化するのをジッと待つ姿に脱帽です・・・と書いても不思議ではないくらい、真面目なネコちゃんでした。名付けて「地蔵ネコ」。綱吉と桂昌院がお世継ぎ誕生を願った大本堂よりも、地蔵ネコのほうが霊験あらたかなような気がしました。

【写真(下)】総門に立ち、歩いてきたばかりの「音羽通り」にレンズを向けてみました。右側に建つ高層ビルは「講談社」の社屋。ほぼ10年ぶりに「音羽通り」を歩いたのですが、そのころとくらべて激変しています。道の先には「小戸川」。かつて、この辺りだけは「神田川」のことを「江戸川」と呼んでいたそうです。

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